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心がけているのは
お施主さんをイメージする”こと

神谷 忠良Tadayoshi KAMIYA

職種
講釈士
役職
代表取締役
生年月日
1959年4月30日
性格
A型・おうし座・亥年・五黄土星
趣味・特技
読書(主に漫画)・映画鑑賞(ケーブルテレビの洋画)
好きなもの
F1・本宮ひろし・ノンフィクション

――カミヤプランニングはいつから始まったのですか?

平成4年の12月からです。はじめは前に務めていた会社の下請け・代行を主にやっていました。会社を法人にしたのは平成8年です。私の誕生日に合わせて4月30日に登記しました。

――会社を立ち上げた時の経緯や思いは?

高校を卒業後、三州陶器瓦の産地にある高浜市のサカイ建材という、屋根工事とスレート工事をしている会社に就職をして、15年間勤めました。その会社は身内や知り合いの紹介で入社した社員ばかりの会社で、一般から新卒で入社した第1号でした。当時はすごくアットホームで雰囲気のいい会社で、本当にかわいがって貰いました。仕事もきっちり全部教えてもらいました。最初は総務部に所属し、元帳つけから経理で支払いもしていました。その後、屋根工事の現場管理、新しく出来た外壁サイディング工事の施工管理をし、退社するときは屋根・外壁工事全般の営業を任されていました。すべてが今の私の基礎になっていて、本当に感謝しています。
転機は人員削減があったことからですね。社長の弟さんが亡くなり、その弟さんが経営していた瓦製造メーカーの支援の為、かなり会社も無理をして雰囲気が悪くなっていました。また、尊敬していた先輩が独立して自分に負担がかかったことや、嫌なことも重なりサカイ建材を退社しました。そこで世話になった職人さん達と会社を共同で立ち上げたんですけど、結局うまくいかなくて半年で辞めてしまいました。もらった退職金も全部つぎ込んでいたので一銭の金もなく、前の会社にはやめた意地もあって戻ることもできず、かといって違う業界に行くわけにもいかない、結局食べていくために立ち上げた感じですかね。

――立ち上げた当時はどんな感じでしたか?

その時は前の会社にも相談に行き会社に戻れと言われたんですが、とりあえず外注、今でいう契約社員みたいな感じでということになり、名古屋営業所に机を用意してもらい、カミヤプランニングの屋号を持ちながら前の会社の下請けって形で毎日吹上まで通ってました。サイディング工事をサカイ建材から受けて工事をしながら、積算や材料の手配の仕方なんかを事務員さん達に教えたりして、職人は自分が連れてきてっていう100%完全下請けみたいなことをしていたんです。自分のお客さんもありましたので、自宅の2階の1室を事務所にして、最初は全く1人でやっていましたね。

――奥様が止められたということはありますか?

それはないかな。まだ子供も小さくて手のかかる時期だったし、始めから自分1人でやると言ってましたから。でも何でもそうなんだけど、思っていたのとやってみてからとは全然違うじゃないですか、自らトラックに乗って営業から現場の確認、材料の手配と配達もしてという感じで大変した。そうすると支払いとかそういうことができないじゃないですか。彼女は銀行員だったので、お金の扱いは当然出来るし慣れているので、支払いをやってくれとお願いする事になりました。今も助かっています。もともとお金がなくて始めたので、誰かに手伝ってもらうというより、自分達の生活の為に当然応援するっていう感じでした。

――会社がここまでになるまでに辛かったことは?

自分は営業をやっていたんですよね。前の会社辞める時、今いる職人さんを連れていかないって条件でやめてるんですよ。なので新しい会社は外注の職人さんと組んで立ち上げたんですね。でもやっぱり職人さんの感覚と違うんで合わなくてやめたんですが、今度は頼みの綱の職人さんがいなくなったんです。親方を直接連れてく事は約束違反になるので、まったく素人の子を親方に頼んで預ける形にしていました。まったく職人さんゼロから始めたんで、やってくれる職人さんがいなかったというのが一番辛かったことですね。いくらでも仕事を取ってくる自信はあったし、実際取ってきても工事をやってくれる人が本当にいなかったのが辛かったかな。

――どのように現在の会社の規模になっていったのですか?

今から7、8年くらい前からかな、創業以来ずっと世話になった親方が抜けてからだと思います。すごくまとまりが良くていいんだけど、他人を受け入れないような雰囲気が会社の下請け会にあって、仕事が重なる度に新しい職人さんに来てもらうんだけど、雰囲気に呑まれて定着しなかったんですね。親方一人が悪いわけでは、もちろんないですけどね。そこからはいろんな職人さんが入ってきて、そうなると職人さんが増えて管理ができないんで1人社員を入れるということにしました。今までは1人ずつくらいはいたんですが、だいたい2~3年で合わないって辞めるんです。それが今の中野と島本が入社して、会社にずっと落ち着いていてくれる=職人が増えて職人を食わせないかん、次は社員が増えてきたら社員を食わせないかん。ということで今の規模に自然になっていったっていう感じです。

――サイディングという仕事のやりがいは?

最初、作業する職人さんも新しいことだから分からなかったし、0から始まったようなところから携わっているので、それは面白くてやりがあったかな。それと、サイディングの材料自体が凄い進化してきているので、サイディングという同じ名前でも1番最初に出たものと、今あるものは全くの別物なんですよ。だけど、それも含めてサイディングなので、そういう意味でも面白いですし飽きないんです。
それと、建物の1番の基礎は柱とか言うけど、1番最前線で雨風防いで頑張っているのは屋根とか、サイディング含めた外壁じゃないですか。

――言われて心に残っている言葉はありますか?

前の会社を辞めて独立すると話をした時に周りからは「お前では無理だ!」「あんなやつがやれるわけないわ!」と言われた事ですね。実際その通りになって、一銭の金も無くなり、お金だけではなく自信もプライドも全て無くしたんですが、あの時言われた言葉を思い出しては「なにくそ!」って反骨精神でいまでも頑張っていると思います。
逆に嬉しかったのは、仕入先の元会長さんと一緒に飲んだ時に「あのただよし君がこんなにできるとは思わなかったわ」と言ってもらった事ですね。責任者ってけなされる事はあっても中々褒めてもらえないじゃないですか、嬉しかったし、ありがたかったです。

――仕事するうえでのこだわりは何ですか?

カミヤプランニングは工事屋なんです。ブローカーではありません。工事屋はキチッとした施工をしなければいけないんですよ。昔は色々なところで手抜き工事もありましたけど、うちが心がけているのは“お施主さんをイメージする”こと。ハウスメーカーさんとか工務店さんではなく、実際にお金を払って家を建てるその人をイメージしてとにかく仕事をしています。みんな商売でやっているんだけど、誰が1番お金払っているかって言うと、お施主さんです。そこの筋道を間違えたら駄目。お金払ってくれている人の顔がイメージできなければ絶対良いものはできないですよ。

――職人さんとの関わり方については?

職人さんには、とにかく現場で気持ち良く貼ってもらうことが1番だと思っています。自分自身がお金で苦労したので、工事をやる前に金額をキチッと提示して必ず発注しろと社員には言っています。職人さんに対しては、この2つですね。
社員に対しては、うちの場合は頼んでいる職人さんは個人事業主で、ある意味社長さんなんですね。そこで立場が逆になってしまうんです。そこをどう巧く回していくかっていうところでいくと、非常に申し訳ないなと感じています。でも人間的には凄く良い勉強になると思っています。人って難しいけれど、心さえ通い合えば何でも出来ちゃいますもんね。

――社員の方との接し方で気を付けていることは?

最近は、ちょっと偉そうに上から目線で言っています。本当は、社員には自立して欲しいんです。この商売はサラリーマン感覚では勤まらないんです。今の社員が自分たちでしっかりと考えて、自分たちでちゃんとできるというようになって欲しいですね。私は33歳で会社を立ち上げて、もうそれ以上の年の社員ばかりなので、新築の方は、あんた達にもう任せたのでという感じです。

――リフォーム事業について

ほかの会社は広いエリアでやっていますが、うちは今住んでいる周辺エリアで“外壁のなんでも屋さん”みたいな形でリフォームの元請けができれば良いかなと思っています。

――これからアジャストを含めカミヤプランニングをこれからどうしたいですか?

若い人が集まる会社にしたいですね。社員でサッカーチームができるくらいにね。建築関係の仕事は、きつい・汚い・危険などと言われ、技術習得にも時間がかかる為、なかなか人が集まりにくい業種ですが、逆に人が集まれば大きなビジネスチャンスになると思っています。人口の減少に伴ない新築住宅の着工戸数も激減していくと思いますが、全く新築住宅が建たないわけではないので、施工する人の需要、特に若い人の需要はこの先必ずあると思います。外仕事は本当にきつい作業になりますが、お天とう様のしたで仕事をするという事はストレスもやわらぎ、余り難しい事も考えなくて済むので私は好きですね。しかし、技術の習得はその人の能力に因るものが多すぎて、読めませんし、育てる時間もお金の余裕もありません。なので、素人でも3年も5年も掛らずに外壁を張れるような形っていうのは何だろうなっていうところを模索し、何とかいっぱしの技術者に育てたいと考えています。
それと、若い子たちの楽しみがうちがスポンサーをしているサッカーチームだったり、もう1つは、できれば海外に行きたいということになればと。車は海外に出ているので、住宅も出ていってもと思っています。今のところプレハブ系の住宅が多いので、外壁を貼るっていうところがあるかわからないですけど、ここで厳しい指導に耐えて、例えば2週間オーストラリアに指導に行ってもらって、残り1週間はのんびりして帰ってくればいいよとか、そんな楽しみが与えてあげられると良いのかなと思っています。

――尊敬する方はいらっしゃいますか?

尊敬しているのは、もう亡くなってしまいましたが、サカイ建材の先代の社長さんですね。凄く可愛がってくれました。顔は強面ですごい短気で一見とっつきにくいんですが、機嫌が良い時は子供みたいで、情の厚いとんちの効いたすばらしい社長さんでした。忘れられないのは、前の会社は一度辞めてまた会社に戻ってくる出戻り社員が本当に多かったんですよ。社長はその社員に「どうだ!他所に行ってうちの会社の良さが判っただろう!」と言ってまた受け入れるんです。真似できないですよね。実務については何も教えてもらってないですけど、感覚的には凄く勉強させていただきました。

――今後のカミヤプランニングとスポーツの関係は?

富士松FCサンターナに関してはウチが会社をやっていく励みでなんです。「ユニフォームが欲しいです」ということになったら、会社が頑張って稼いだら「ユニフォーム買ってやるぞ」という感じです。

――刈谷に足りないものは何ですか?

トヨタさんのおかげで、ないものはないくらいです。だけど、なきゃいけないものもないのかな? 結局は仕事優先の街になっているので、通ってくる人は多いんですけど、刈谷に住んで密着する人がもう少し増えればいいのかなとは思います。 とりあえず、家から歩いていけるところに居酒屋がないので、誰か泉田町の極狭いエリアで始めてくれないかな?

――刈谷のオススメの場所は?

一般的には、ハイウェイオアシスや総合運動公園になるのかな?
まだ行ったこと無いんですが最近出来た市役所はお勧めみたいですよ!

――好きな場所は?

マン喫によく行きます。必ずホットコーヒーを頼んで延長料金無しで帰ってきます。
遺伝なんです。亡くなった父親も大好きで、“ぼくら”とか読んでたなぁ。

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